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映画「愛のゆくえ(仮)」公開決定!

2011年末、この企画のために、前川麻子によって2つの台本が書かれました。

稽古での試演によって今回ダウンロード公開している1本が択ばれ、準備会がスタートしたのが3月。
公演に向けて、着々と公開稽古が重ねられています。

その間に撮影していた、もう1本の、試演によって「没」とされた作品が映画として完成しました。
キャストは前川麻子と寺十吾。
題名も同じ「愛のゆくえ(仮)」です。

初号試写後、映画『愛のゆくえ(仮)』監督の木村文洋さんにお話を伺いました。

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・ 監督としてこの作品をどのように捉えましたか

撮影に至るまでの経緯からお話したいと思います。
前川麻子さんは、前監督作『へばの』(2008年)主演の吉岡睦雄さんのお師匠であったご縁で、3年前にお知り合いになりました。それから前川さんの書く本、演出される舞台を観たりする機会が何度かあったんです。それらを観ながら、前川さんとは…人がウンザリしてしまうような人間の生命のアクというか、生きている営みの馬鹿馬鹿しさのようなものを沸騰させて笑い、魅せていく人なんだな、と。生命の倦さを通り越して、笑う。例えば『モグラ町』シリーズは、僕にとっては何より陰惨で怖い。中年期の男兄弟が5人、血縁というだけで集って何をするでもなく集まり、話す、ということが美しくなく、しかし奇妙に楽しく描かれている。そういう時間て、いつまで続くんだろうなと。誰か一人いなくなってしまうことでも変わってしまうんじゃないか。

『愛のゆくえ(仮)』映画版は、今年一月に高橋和博さんからお話頂きました。昨年末出頭された平田信氏と女性とのお話だと。最初はとてもじゃないが出来ない、と。オウム真理教の地下鉄サリン事件の95年は―僕が高校の頃で、連日連日信じられないような報道が続いた。麻原の「人間は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という肉声も、当然のことを言っているようで、当時重く自分の脳に沈んでいくような感触がありました。青森の田舎にいた頃で、平田信、菊池直子、高橋克也各氏の等身大の指名手配写真は近所の銭湯にあった。関東圏にいるほどの報道の恐怖はなかったけれど、やっぱり思春期で何を思い出すかと言われればあの時期です。信仰や宗教というのは、それから別の角度から自分の人生に迫ってきたこともあって、長い間考える課題としてはあった。ただやっぱり高橋さんの話でなければ、正直即答でお断りしていたと思います。
前川さんはどういうふうにあの二人を想像しただろう、と脚本をその日に読ませてもらったんです。読まなければ考えるきっかけにもならないと思って。それで読んで、平田信の背景以前に、僕には分からない単語があった。例えば「マルコウ」とか「どういたまして」とか。どういう意味だろう、と思いながらそれは次の日調べようと思って、そのまま寝た。一読しただけでは、正直、ほんとうに何も分からなかったし、何が分かった気もしなかった。
 「マルコウ」が例えば高齢出産の女性につく判子のことであること、「どういたまして」が幼児語であることは別の日やっとわかって、そんなことに気付きながらもう一度この17年間、逃げている容疑者のことも、公判のことも時折自分は追いかけていたけれど、考えない時間が本当に多くあったなと。ただそういった時間の中も、あの二人は部屋にじっといたのだろう、と。
 映画ではカットしてしまったんですけど、前川さんが書き出したきっかけは、平田氏が出所する前に、同居していた女性が用意した服のタグを根こそぎ切って行った、という話があるらしいんですね。それは彼女との痕跡を断つためなんだけど、そこでこの人、女性を愛していたんだなあ、と思って書いた。それはなんというか前川さんが相手に話しかけたい、と思った仕草だったと思うんです。誰の人生だって極論、想像さえ出来ないけれど、言葉をかけたいと思った仕草だった。その人を理解できるということじゃないんだけれど、例えば雨の日、傘もささずにずっと雨を浴びて、衣服ボロボロの人がいたとするでしょう。正直、声なんてかけられない。でもずっとその人が何か指を動かして何かしている、と。それでその指を動かしている中に―なにかを見てしまったら、声をかけてしまうときもあると思うんです。
 「マルコウ」なんて言い方が果たして俗人の言い方なのか、宗教者には似つかわしくない言い方なのか。シナリオに手を入れながらそんなことを線引きしていく行為も意味が分からなくなってきた。自分の経験上でいえば、本当に信仰を広げたいと思っている人はまず日常から宗教的な言葉なんか使わない。人が人から離れていきそうなときに―本当に絶望しかけたころにぽつっとつい呟いてしまうものだ、と思い直したりした。
 そんな中で平田氏が昨年の東日本大震災にショックを受けて自分は何をやっているんだろう、と耐えられなくなって出頭した、という一行が忘れられなくなった。その発言の真偽は当然わからないとされているんですが…。しかしかつて17年前に国際的にも衝撃を与えた一連の事件に関与し―人間の生命への無常観にかつては触れた人なんでしょう、その人が昨年の無常に触れて耐えられなくなった、というのが忘れられなくなった。
 結局、なにがいま描けるか、という確証は半々のまま撮影に入った、というのが正直なところです。
個人的なことになるんですが2012年の今年の春、というのがどうも不気味で居心地が悪くて…。昨年の震災から一年が経って、東京の街、部屋の様子がまた一巡して戻っていく、というのが僕にとってはなにか怖いことのように思えていました。
 その部屋で、17年前に脳裏に重く沈んでいた「人間は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という言葉はどういうことなのかなと。それは反転して―いま選ばれて、部屋の中で生きている自分の身体について考えてしまうこと。それは自分の実感としてもあった。食事をつくって、隣人と食べて、笑い、それで確認できるのか…。
 前川さんは今回「記憶の応え合わせ」というモチーフを持ち寄って下さりました。寺十吾さんは良い言い方が思いつかないんですが、生命の飽さが沸騰し尽くして流木のようにカラカラな肉体、それが流れていくような佇まいがあった。
上手く言えないんですが、二人ともなにか、凄いところで笑っているというか。
その二つにあの暗い部屋の夜にぼーっと立ってもらい、部屋の隅の闇からでもなにか見つける、思い出していく、手がかりにしていくような映画に出来ないかと思いました。(続く)

ポレポレ東中野で上映決定!
映画版『愛のゆくえ(仮)』



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・ 演出の際、意識していた事を教えて下さい

ただこうやってください、という言葉を重ねて自分の指示に人を近づけていくのは、それだけの話になっちゃうので、出来るだけそうしたくない、というのは前々からあるんですが、いつもそんな感じで現場に行くと「お前、ノープランだよな?」とカメラマンに言われて気付く、という感じです。ノープランはノープラン。
 役者さんと、映画の背景をどれだけ広く取れるか、ということを考えました。
 シナリオの背景や過去にはこんなことがあって、こんなことをいま二人は話そうとしている―ということを「シナリオ外」から考えてきたことを話してみる。ただまあ結論から言えば、あれだけの演者さんには、こちらの無い手の内を残らずさらす、ということからしか始められないというか…。スタッフ、キャスト、じっと辛抱強く僕の空想を聴いてくれて、じゃあやってみようか、と、前川さんは三段階くらい裏切った解釈で返してくれましたし、寺十さんはこうじゃなかったんじゃないのかな、前川さんと話し合いながら、カメラが廻る直前まで考え込んでやって頂きました。
 

・ 撮影時、舞台版を意識した事はありますか

ないです。舞台、楽しみにしてます。


・現場で印象的だった事や面白エピソードなどはありますか

 終盤のあるシーン撮影なんですが。
カットをカメラマンと少し割って、じゃあ回そうというとき、隠れ場所が無いんで監督の僕はモニターを持ってトイレに入って。本番かけて、じーっと二人の芝居を観ているんです。それで、もうカットをかけるタイミングに来たんだけれど、前川さんと寺十さん、映画全部の台詞を完全に入れてくるので、カットをかけないと、そのままじーっと演技を続行する。次のシーンまでいってくれるんです。普通ならカメラに向かって「え?」とか疑問を示すんでしょうけれど、お二人はそのまま続けてくれるんです。こちらに全権を与えて下さっているわけですよね、改めて恐ろしいんですが。なんだか、観たいなあ、怒られるかも知れないけれど観たいな、このままいったらどうなるんだろう、とトイレの中でカットかけないで眺めてしまっていた。そうしたらカメラもじっと動いて、なんだか…ちょっと不気味な時間になった。
 部屋の暗―い一隅で、テーブルを囲んでじっと男女が、爆発寸前の押し殺した会話をじっとしている。どちらかが焦燥に走ると、どちらかが落ち着いて、均衡をあうんの呼吸で取っている。あ、夫婦なんだな…と。僕小さい頃、こんな光景を夜中、ぺたぺた廊下歩きながら両親の背中に観たな、と。これ観たことあるなあ、と。僕が子供の頃なら両親は40代なんだけど、そういえばこの映画の二人、僕ぐらいの子供を持っていてもおかしくない夫婦だよな―というのを、トイレで観ながら、感じた。
 で、やっとカットをかけたら前川さんに「カットかけんの、遅えよ」と一言真っ当に怒られるし、録音にはマイクあっちに置いてないから使えないよ、とダメ出しを当然受けるんだけど、でもこの方針でいこう、とカメラマンと決めて、次改めてそのままワンカットで撮ってしまった。
 深夜12時くらいだったんだけれど、あれはちょっと不気味な時間でした。なにかに立ち会った気がしました。


・舞台版へのメッセージをお願いします

 演劇とは違うことをこちらは一杯に焼き付けた気がするんですが、それでも演劇の舞台上で起きる魔力に今も戦々恐々としています。
 『愛のゆくえ(仮)』舞台版、楽しみにしています。

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愛のゆくえ(仮)


1990年に作家・演出家の前川麻子が立ち上げたプロデュースユニット。魅力ある役者を招き、前川が作・演出を行う。公演歴40回以上。

演劇「愛のゆくえ(仮)」
同じ男女二人の物語を3組の出演者と演出で舞台化。
観客の前で試演、稽古を見てもらい意見を交換し合う「トライアル」を実施、
台本稽古映像もネットに公開した。
映画「愛のゆくえ(仮)」の脚本はトライアル以前、前川WSでの試演会で没になった戯曲が元になっている。

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